カミーノ・デ・サンティアゴ☆星の巡礼~ My Camino

サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの800キロ。そして、フィニステーラへ。カミーノ巡礼(2013年8月29日~10月19日)の記録と、役立った巡礼情報を綴っています。

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帰国してから、その後。

帰国してから、しばらくが経ちました。

このカミーノ巡礼を終えると、良くも悪くも物事が動くと言われますが、行かれた他の皆さんはいかがなのでしょうか? しっかり巡礼を経験して帰ると、新展開があったり、新ステージへ進むことが多々あるようです。

わたしは帰国後さっそく、良いのか悪いのか分かりませんが・・・環境に変化がありました。
カミーノへ行く前も、流れが来て状況が整いだしたので、カミーノはほんと不思議な道だなぁと思っています。もちろん、スタートは自分の「行きたい!」という想いが起点ですが、それにもまして周りも動き出してカミーノへ行ける状況へとどんどん流れて行ったのです。

準備が出きた人はカミーノへ呼ばれるそうですが・・・まさに呼ばれたのかもしれません。
※カミーノとは「道」という意味で、カミーノ巡礼 = カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼 を指します。サンティアゴ巡礼と呼ばれることもあります。

今回の巡礼では、本好きなわたしは、パウロ・コエーリョ氏の『星の巡礼』を持っていきました。主人公の著者がカミーノを歩いた自伝的スピリチュアル小説なのですが、同じ土地を感じながらわたしも歩いてみようと思い、持参しました。

その中に、こんな一節が。

旅に出る時には、われわれは実質的に、再生するという行為を体験している。今まで体験したことのない状況に直面し、一日一日が普段よりもゆっくりと過ぎてゆく。ほとんどの場合、土地の人々がしゃべっている言葉を理解することができない。つまり、子宮から生まれてきたばかりの赤子のようなものだ。だからまわりにあるものに、普段よりもずっと大きな重要性を感じ始める。生きるためには、まわりのものに頼らねばならないからだ。困難な状況に陥った時、助けてくれるのではないかと思って、他人に近づこうとするようになる。そして、神が与えてくれるどんな小さな恵みにも、そのエピソードを一生忘れることがないほどに大感激するのだ。

同時に、すべてのものが目新しいために、そのものの美しさしか見ず、生きていることを幸せに感じる。だから宗教的な巡礼は常に悟りを得るための最も実際的な方法の一つとされているのだ。小さな罪というPeccadilloペカディジョという言葉は、道を歩いていくことのできない傷ついた足という意味をもつPecus追ぺカスとう言葉からきている。ペカディジョを正すための唯一の方法は、前へ歩き続け、新しい状況に適応し、その代償として、求める者に対して人生が豊かに与えてくれる何千何万という修復のすべてを受け取ることなのだ。


カミーノでは、現地スペイン人、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、イングランド、イギリス等のヨーロッパの人々、アメリカ、カナダの欧米の人々が中心です。

わたしは英語が少しできますが、スペイン語はほぼ分かりませんでした。巡礼者同士では、たいてい英語でコミュニケ―ションをとれたものの(もちろん英語ができない巡礼者もいらっしゃいました)、お店や宿の地元スペイン人の多くが英語をしゃべれずスペイン語オンリーだったり・・・

ジェスチャーをふまえたりしてなんとか意思疎通できるのですが、時には言葉が理解できない赤ちゃんのような立場になることも。表情もコミュニケ―ションツールの一つになるので、おのずと笑顔で対話。ある巡礼者は、「普段よりニコニコしてしまうよ~」と話しいました。

そして、現地の余計な情報を知らないので物事を捉えるのがシンプル。新しい環境が新鮮で、良い面をみているのでちょっとしたことが面白かったり・・・楽しかったり・・・すぐ感激したり・・・有難さを感じたり・・・。感情が豊かになり、気づきが起こりやすい感覚。

そういった意味では、まさに赤ちゃんになって現世を生きる、うまれかわりの旅でした。

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